である。計画通りの成果を上げ、その範囲から出ないで終了するような研究開発でいいのだろうか。
 最初に決めたことは、月に一回学習指導レポート、生徒指導レポートをする。それを印刷配布し、協議会を持つことであった。レポートはA4版1枚程度で、形式、内容とも自由である。これが計画・設計した内容である。
 従来の研究開発では、研究計画が詳細に立てられることが多かった。そのため、それが当たり前であると考えがちである。ところが、最近の研究では、詳細な研究計画を提示した某附属小学校に対して、研究開発学校の指導者が否定的な見解を示した。「計画通りの成果しか上がらないような開発はいらない」「結果がわかっている開発はしないでいい」と。

2 教育課程の研究開発の実際
(1) 研究開発目標 研究開発目標は、「喜んで登校し、生き生きと学ぶ子供」である。これ以外の目標は設定しない。また、この目標もこれ以上細分化したり、年次毎の目標にしたりもしない。「目指す」教育から脱却し、ただ、この目標を具現するだけである。
 毎時間、毎日具現することで、具現の質に変化が生じる。目標を分析したり、細分化したりしなくても、子供に具現したことをとらえると、目標が具体化していることがわかる。具現した事例を多く収集するために、一般目標にとどめるのである。

(2) 相違→創意→総意と進化する教育課程
 目標や子供像を達成するため、計画を立てて教育課程を開発するやり方が「目指す」教育である。そこから脱却するため、計画は立てるが入り口の計画であり、全体を計画・設計することをしないのである。なぜなら、進化は設計・計画はできないからだ。

[1] 相違ある教育課程
 当校の第1学期の始業式は、4月6日である。担任する児童と出会うまでに、「相違ある教育課程」を作成する。その中身は、学級経営方針と各学級の年間指導計画である。指導計画といっても、単元や活動のまとまりとその時数程度である。A4版4ページであり、見開きのページが指導計画になるようにして作成する。
 相違とは、同学年の他学級との相違、昨年の同学年との相違を意味する。総合的な学習や生活科の計画では、全国的な実践との相違も意味する。相違がないと、自ら考えようとはしないからである。とりわけ、総合的な学習や生活科を中核にした教育課程を作成することで、相違が鮮明になる。
 相違は、創意を促す。また、相違は、他の実践から学ぶ機会を与えてくれる。相違は、互いの実践と競うこと、よりよい実践を生み出すことを促す。
[2] 創意ある教育課程
   相違ある教育課程ができたところで、児童と出会う。教師の「よりよくしたい」という意欲と児童の「よりよくないたい」という意欲の相互作用により、創意ある教育課程が生み出されていく。毎日の教育実践が、この教育課程である。
 私たちは、紙に書き表した計画に留まることなく、実践場面での教師の表情やしぐさまで教育課程と考えている。児童の学び合いや地域社会や人々との交流も教育課程である。いわゆる潜在的カリキュラムまで教育課程と考え、自在に開発を促そうとした。
 こうすることで、日常の実践が教育課程開発の基盤となった。データ収集の単位を単元や活動のまとまりレベルから教材、発問、教師の働きかけなどの事例レベルまで具体化した。教職員が毎日取り組んでいる実践こそ、教育課程開発であり、新しい開発のヒントもそこにある。
[3] 総意ある教育課程
 創意ある教育課程に取り組み、「喜んで登校し、生き生きと学ぶ子供」を具現した事例がたまる。それをA4版1枚程度のレポートにまとめる。それを印刷配布し、ワークショップを開催する。
 他人のレポートから学び、自分でも同じ実践をしてみる。他人の実践に付け加えて実践したり、一部を変えて実践したりする。このように、レポートの交換とワークショップの繰り返しで、しだいに実践が関連を持ち、つながっていくようになる。誰かに言われてつなげるのではない。教職員一人一人が主体的に意味付け、つなげ自己組織化していく。
 もっと簡単に言えば、優れた実践、価値ある実践は流行るのである。そうでないものは、話題にもならなし、忘れ去られる。他人の共鳴が得られないと流行らないのである。この単純な原理が働き、自己組織化が促され、総意が生成されていく。

(3) 教育課程研究開発の方法

[1] レポート
 「喜んで登校し、生き生きと学ぶ子供」を具現した事例をA4版1枚程度に記した文章である。これは、実践レポートである。単なる実践だけを記したものではなく、意味付け、意義付けを伴ったものである。   
 学習指導と生徒指導の2面から事例を収集する。学習指導と生徒指導は相互補完の関係にあり、どちらに偏っても教育課程は機能しなくなる。いずれは一体化し、どちらのレポートか区別が付かなくなることは考えられる。それをあえて二つの面からレポートすることで、教育課程の総合性を意識させたいと願った。
 レポートは、教育課程開発のデータである。数が増えてこそ意味が生ずる。そのため、とらわれのない自在な具現事例に期待した。書かれた内容について否定