松本 重なるところがあると思いますが……。
塾長 21年生まれで、まったく同じ時代に育ちまして、私もやはり野球が好きで、日が暮れるまで野球をやってましたね。それから、ラジオでいうと、「赤銅鈴之介」とか「少年探偵団」が夜6時ごろやっていて、毎日毎日聴いてましたね。
さきほどの『問題解決の心理学』という本に重ね合わせて言えば、その中に『二十四の瞳』という小説を取り上げているのですが、子供たち同士のつながりというのでしょうか、肌でのつながりというか、そういうことが思い出されます。いまと比べると、そういうことがあった時代だなという気はしますね。『二十四の瞳』は昭和の初めの話ですから、時代はまったく違いますが。
寺崎 私はいわゆる集合住宅みたいなところに住んでいましたが、近所の人が、私が怒られていると、間に取り入ってくれたり、自分たちがいけないことをすると叱ってくれたり。長屋住まいみたいなところですから、そういうことが頻繁にあった時代だなというのが、もう一つ記憶に残っているところですね。
塾長 私は、どちらかというと東京の下町というのでしょうか、いまの虎ノ門のあたりの生まれ育ちで、もう既に原っぱというのはなくなっていた時でした。いまのホテルオークラがあるところに「大倉集古館」という美術館がありますが、そこの塀へよじ登って中へ入って遊んだり、東京の飯倉というところに神社があるのですが、その境内でたこ揚げしたり、いま虎ノ門パストラルという建物がありますが、そこが田中山という山で、そこでセミ採りをしたり。
虎ノ門のあたりは昭和20年代の半ばからだんだんそういうコミュニティがなくなってきていたのですが、大人の間ではまだ町内会というのがありまして、おつかいに行かされたり、そんなことをしていましたね。だいぶ時代が変わりました。
いまの子供たち
松本 いまお話の中で、肌のつながりとかそのようなものが私たちの子供の時代にあったのではないかというところが共通かなと、私も感じたのですが。
現在、世の中は豊かになっておりますが、「フリーター」とか「ニート」などという言葉もありますけれども、今の子供たちについてはどのようなお考えをおもちでしょうか。
塾長 全部ひとくくりではくくれないと思いますが、難しい言葉で言うと、自分が友達とか家庭とか他人によって生かされているという感覚が薄くなっているんじゃないかなと思うんですね。自分が認められているというか、周りから温かい目で見られているということはとても大事で、そういう意味でのつながりが消えてきている。温かいというのは、ちやほやされるという意味ではなくて、叱られるということも含めて、常にきちんと人間として扱われているというのでしょうか、そういうことがとても大事だと思います。それがかなり薄れてきているような気がしますね。
寺崎 私は小学校ですから小学生しか見ていませんが、毎年入ってくる子供たちを見ていると、子供らしい素直で明るくて前向きだというのは、変わっていないなと思いますね。それは非常にうれしく思います。ただ、彼らが育ってきている環境が変わってきていますので、そういう意味で、私が昭和40年代の半ばに教員になったころとは少し変わってきているかな。
例えば、今の子供たちは、ある意味ではキャラクターが豊かなんですね。いま私は、毎日、6年生の6人ずつと給食を食べています。一人ずつ自己紹介をしてもらって、それから2、30分ですが、いろいろなやり取りをする。それぞれの個性というか違いがよく出てきて、おもしろいですね。そういう点も、いまの子供としていいなあと思いますね。改まった場でもきちんと話ができる。
ただ、学校生活の中で子供たちを見ていると、根が浅いというか、芯が細いというか、そういうものがかつてとは非常に違うと感じます。もう一つは、包容力のある子供が減ってきたというか、それがかつてと違うと非常に感じますね。
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