いま、大学で、「教養教育は何のためにあるのか」というのがずいぶん問われています。まったく見ず知らずの違う意見をもっている人と一緒にやっていかなければいけないというときに、その前提として、いままでの歴史、ものの見方、あるいはいま現在のいろいろな状況についてのものの見方を、これまで蓄積したいろいろな知的資産を基にして、自分できちっと理解していくことが大事だと思います。
寺崎 私個人は、子供たちに夢をもってもらいたい。私たちのころの子供たちというのは、いつも学校へ元気よく走ってワアワア言いながら。最近の子供たちは、正直言うと、朝、本当に疲れた感じで……。私は練馬ですが、遊ぶ場所が比較的多いような場所でも、何となく疲れたような感じで、元気のよい挨拶なんて飛び交ってこないというのが非常に気になるのですね。そういうことも含めて、もっと子供は元気にしなければいけないし、大きいことを言えば、夢をもって、将来ああいうサッカーの選手になりたいとか、こういうすごい研究をしてみたいとか、そういう大きな夢をもってもらいたいなと思いますね。
塾長 そうですね。
そういうことの一番ベースになるのが感動的な体験だと思うので、ぜひ、小学校のときに涙が出るような体験というのでしょうか、そういうことが一度でもあるといいなと思いますね。
さきほど申し上げたように、『問題解決の心理学』というのは、目標をもち、その目標を達成しようと思えば、いろいろな人間のメカニズム、いろいろなものの見方、いろいろな知識、そういうことが全部それに伴って動くような、そういう生物だということを言いたいのです。
では、目標をもつことができるのか。これは残された課題で、「君、こういう目標をもちなさい」、それはなかなかできない。ある意味で感動的な体験というのでしょうか、そしたら僕もやれる、私もこういうふうにしてみたい、こういうふうになってみたいというのが自分から湧き出てくるような、そういう場がつくれるといいなと思っております。
寺崎 私たちがよく言われるのは、自然体験とか社会体験とかいろいろなことを含めて、今の子は体験が少ない。だから、ものを考えるときにも、考える基盤になるものが少ない。そういう意味で体験を重視していこうという教育は進めているつもりですが、学校週5日制とか最近の学力問題の絡みで、安西先生がおっしゃったように、目標を与えるのではなくて、子供たちが目標をつくりたくなるような場の設定ですね。
塾長 私も、そこが大事なのではないか考えています。私自身もそうなのですが、どうしても学生、生徒、児童を囲い込みたくなる。こういうことをやろうね、と。課外活動でも、こういうメニューもあるよ、こういうことをやると目標をもてるようになるよ、というふうにしたくなるのですけど、子供たちは自分から何かを見つけ出すということが大事で、我々として、間接的だけれども、そのための多様な場をつくってあげることが大事ではないかなと思っています。
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