(1) 意識改革1
何も話し合いをもたなくても、「よりよい学校にしたい」「よりよい子供にしたい」と、どの教職員も願っている。また、学習指導要領に基づいて指導するということも共通である。ここからスタートすれば、何も話し合いの時間を設定しないでも、研究開発はスタートできる。
従来からの「共通理解に立つ」という内容にも問題がある。共通理解に立つといいながら、特定の人の意見、声の大きい人の意見がそのまま共通理解とされることが多かった。そのため、実践が進むに従って、だんだん違いがはっきりしてくる。
指導的立場にある人の意見に従うことになるので、次第にそれぞれの考えが通りにくくなる。そのため、自分で考えなくなり、次第に無気力になる。共通理解に立つことを強く求めると、その意図と異なり、教職員のやりがいや意慾を奪っていたのである。
(2) 意識改革2
従来は、研究指定や研究開発学校を特別視していた。特別に開発した教育課程が流行らないのは、開発学校と同じように特別な研究体制を組まないと真似できないからである。だから、通常の勤務時間内に開発した教育課程でないと、普及しないと考えたのである。
学校は、研究開発学校の指定を受けなくても忙しい。その上に、研究開発に取り組ませたら、時間外勤務、休日勤務を常態化し兼ねない。そうなれば、家庭生活を破壊し、教育活動に悪影響を及ぼすことも考えられる。
教育課程開発に当たっては、単元開発、教材開発、指導計画の作成などに留まることなく、学校経営、学校運営を見直し、従来と異なるやり方に変えていかなければならない。
(3) 意識改革3
詳しい計画を立て過ぎると、その計画に縛られ、計画の範囲から出ない研究になってしまう。現実に生起する様々な問題と計画の違いに目を瞑ってしまうことも心配
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